彦ちゃんの河内歴史話井戸 第71話
これは絵馬(エマ)ージェンシー。大感動。
私は「天誅(忠)組記念館」の館長ですが(詳細は左下)、今年は「明治維新のさきがけ」と称される天誅(忠)組大和義挙から160年です。
このタイミングで5、6月と奈良県在住の絵馬研究家(日本絵馬研究会)・髙田昌彦先生の御案内で天誅(忠)組の絵馬を拝見する機会を得ました。存在自体は数年前にお聞きしていたのですが、まるで160年に合わせるかのように一気に話が進みました。
拝見した絵馬には共通して中山忠光と吉村虎太郎が描かれています。このお二人はなんといっても天誅(忠)組では2大スターですから当然ですが、驚いたのは広陵町南郷の稲荷神社の絵馬(写真)には、田中楠之助の姿があったのです。
田中楠之助とは現在の柏原市法善寺の人で、天誅(忠)組を京都から河内まで先導し、これより河内勢の領袖、水郡善之祐と最期までを共にしました。
現在も生家横には大きな顕彰碑が建っていますし、大阪護国神社のご祭神でもあります。
明治十一年(1878)に奉納された絵馬の田中さんに、145年の時を超えて同じ南河内の人間がお会いすることになったのですが、「よくぞ探し当ててくれた」と喜んでもらえたでしょうか。
この絵馬の奉納理由や絵柄についてはかなりの部分で先生の調査が進んでいますが、私も大いに興味を持ちましたので、お手伝いできたらと思います。
この稲荷神社は普段は無人ですが、氏子さんから「第2、第4日曜日の朝8時から境内の清掃を1時間ばかりしています」との情報を得ましたので、その機会に絵馬をご覧いただけると思います。
地元の方の絵姿やお名前をこうして離れた所で目にする不思議さに、歴史の面白さを感じていただけたら幸いです。
秋からは奈良県五條市、東吉野村などで天誅組の催事が目白押しです。