彦ちゃんの河内歴史話井戸 第84話
山、田に響く平和の鐘。

猛暑なのに探訪を前提にした掲載内容で恐縮です。と書く私も熱中症の経験者ですし持病の検診なら季節に関係なく遠い医療機関にも行くしかないですよね。「らくうぇる。」読者の皆さん、自分の体は自分で守り乗り切りましょうね。
さて前号でご紹介しました長野地区戦没者墓地(河内長野市)の「贈正一位楠正成公一族郎党靈碑」ですが、このシリーズ最高の反響を頂きました。さっそく訪問される方が居られ、ご感想なども届きました。現地に立たれたことで「個人的に興味深い発見」という前号の文中の謎めいた言葉の意味が、実は天忠組志士の墓石だと知っていただけました。この墓石については調査報告書をまとめることができ、管理されている遺族会の方にも喜んでいただけました。
さて8月号ですが、今年は終戦から80年ということで新聞でも特集が組まれていますね。そこで寄稿もそこに触れたいと思いました。実は太子町山田の佛陀寺さんの鐘なんですが、戦時中の金属供出(昭和16年に制定された「金属類回収令」。溶かして武器などの材料にする)から戻って来たんですよ。鐘楼下には「梵鐘二〇〇貫大東亞戰ニ供出ス 昭和十八年一月」と刻まれた石があります。どんな旅をしたんでしょうね。
私がこの鐘と出会ったのは偶然で、やはり天誅(忠)組の関連碑巡りの中でした。この時にお寺の方から「お国の為に役立つという名誉なことなので、出て行くときは紅白幕で被った」と見送りシーンをお聞きした記憶があります。
自らは何も語らない鐘ですが平和の大切さを伝える鐘としての存在ですね。一度、音色を聴いてみたいものです。
この南河内には同じような経緯を辿って、戻らなかった記念碑や銅像なども沢山在る筈です。この機会に少し近隣を調べてみませんか。
天誅(忠)組記念館
藤井寺本館・奈良分館 伴林光平先生顕彰館
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