彦ちゃんの河内歴史話井戸 第87話
大楠公を大河ドラマに。そしてこちらは「富田兄弟」。

今回はローカルと思われがちな大楠公(楠木正成)のことです。今の千早赤阪村でお生まれに成った大楠公は湊川で戦死されていますが、今年が没後690年になります。先の大戦までは一大ヒーローであった大楠公。今でいうグッズの販売も凄かったことがヤフオクなどで検索しても一目瞭然です。しかし、戦後は一転して忘れ去られて行かれました。
それでも各地に関連地は残り、先の万博ではありませんがミャクミャクと受け継がれているのです。例えば遠く佐賀市にも楠神社があります。
そんな中、東京の方から「大楠公の家臣だった富田七郎、八郎兄弟の生誕之碑の場所を教えて欲しい」との問い合わせが。正直、私はその名を聞くのが初耳で、それ以上に驚いたのは碑が在ると言われた場所でした。そこは私が小学生時代に遊んでいた公園の傍で、中学生時代の通学路でした。うん十年ぶりにその地に向かい探すことに。
今回の情報で一番参考に成ったのは富田林市寺内町の昔話「城山の石像」でした。今の富田林モータースクール辺りに大楠公が築いた毛人谷(えびたに)城が在り、この守りを富田兄弟が任されていたと。
戦前には「城山公園」として整備され、大楠公を囲んだ兄弟像も立てられました。石(コンクリート)像の製作には地元の青年と小学生が参加したそうです。それが戦後は荒廃し、1971年(昭和46年)頃には撤去されたと。
さて、その地(若松一丁目墓地)で見つけた碑の正面に「大楠公部将富田七郎八郎生誕之地」とあり裏面に「紀元二千六百年記念 新堂小学校」と。紀元二千六百年は昭和15年にあたります。
人生には何度か衝撃的なことがありますが、この新堂小学校は私の母校です。ということは私の大先輩たちがこの幻の像を作ったんですね。探訪は出会い(愛)。
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