彦ちゃんの河内歴史話井戸 第89話
明治維新の魁ルートになった大阪狭山市。


前回は滝谷不動尊の「身代わりどじょう」でしたが、人気芸人3人が散歩するテレビ番組に映ってタイミングの良さにびっくりでした。どじょうさんも驚いたかも。
さて先日、丘陵を越えて大阪狭山市にお邪魔しました。趣味(今は仕事)で何度も歩いていますが、実は狭山池の堤を歩いたのは今回が初めてでした。いつも手前のお寺や陣屋跡の調査などで時間を費やし撤収していましたから。お陰で大好きな秋田犬(写真)に出会えましたよ。またゆっくり堤を歩きたいです。
本題に移りますが、ご存じの方も多いでしょうが来年と再来年のNHKの大河ドラマが幕末維新史関連ですね。主人公は小栗忠順と中浜(ジョン)万次郎です。
私にとって幕末維新史と言えば、勿論「天忠(誅)組」になります。この一団は京都で結成され淀川を下って堺に上陸し西高野街道を南進。そこから池之原で狭山池の北堤を通って報恩寺(写真)境内に入って休息しています。
トップは中山忠光という青年公家さんで、のちの明治天皇にはお母さんの弟(叔父)にあたります。ただでも幕府と朝廷の力関係が微妙な時期に一団のトップがこの方なら、狭山藩も板挟みの交渉となり、大いに苦慮したことは十分想像できます。
この交渉後、廿山を越えて向田の水郡邸に向かい勢力が増します。観心寺の楠公首塚前で戦勝祈願を行い千早峠から大和五條に入ったルートから大楠公の再来を強烈に印象付けました。
「天忠(誅)組」は時代に翻弄された単純な事件に映りますが、実は奥が深いんです。
「失敗は成功の基」。何事にも起承転結があります。この6月28日(日)に「明治維新のさきがけ 若き志士たちの天忠組」という喜楽座公演が「すばるホール」で催されます。大河の2年間は全国の目を南河内に向けさせる好機と私は思います。
















