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彦ちゃんの河内歴史話井戸 第90話

彦ちゃんの河内歴史話井戸

 

 前号に6月28日(日)に「明治維新のさきがけ 若き志士たちの天忠組」という喜楽座公演が「すばるホール」で催されますと書きましたが、多くの方々にご来場いただけました。ダブル台風の動きに悩まされましたが、主催者の熱い思いが壁となって跳ね返した形ですね。私も案内係で立ちました。(写真はパンフレット)

 主人公は河内勢の首領・水郡(にごり)善之祐、英太郎父子でしたが、ここに田中楠之助(写真は肖像画)という若者も登場しました。田中は京都で結成された集団(のちに天忠組とよばれる)を河内まで道案内した一人でした。

 当時の田中家は法善寺村から信貴山まで田畑が在った豪家だったそうです。田中家は道明寺村の三根家と親類で三根家は水郡家と親類でしたから楠之助は水郡家の道場で剣道に励んでいるうちに国事にも興味を持ったと推察されます。

 楠之介は家を出るときに「近い内に必ず幕府は倒れて天朝の御代になる。自分は気ままで家の人、親類の人に厄介をかけたが私の願うところは天朝の御代に成る事である。命は天朝に捧げたのだから自分は生きて帰る事は先ずないと思うが、天朝の御代になったら楠之介は偉い奴であったと褒めてくれよ」と挨拶し村人と酒を酌み交わしたそうです。4度も天朝を口にしていますね。

残念ながら予期せぬ政変もあって楠之助たちは逆賊(朝敵)の汚名を着せられたまま紀州藩に投降し、翌年7月の禁門(蛤御門)の変の最中、京都六角獄舎で刑死します。しかし、維新後に4度も口にした天朝より忠節を認められ従五位を贈られました。昭和3年には田中家の前に大きな記念碑が建てられました。

 毎年8月は先の大戦に触れる記事や番組を目にする機会が増えますが、幕末の南河内に僅か21歳で散った若者が居たことも知って欲しいと思います。

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