彦ちゃんの河内歴史話井戸 第70話
持続可能な社会に、河内弁も必要でっせ。
また一つ齢を取りますが、幾つになっても出会いは大切ですね。去る4月23日、昨年初来館された方に誘われて、下水分神社にわか連喜楽座(尻谷廣海座長)の公演を富田林市の「すばるホール」で拝見してきました。
和太鼓に芝居にと幅広い年齢層の方々が日ごろの練習の成果を精一杯披露されました。中でも子供たちだけで構成された「天打鼓舞(てんてこまい)」という団体のだんじり囃子は圧巻でした。最初のご挨拶から終了後のお辞儀まで、なんという清々しさでしょう。感動しました。
このような子供たちの姿がある限り未来は明るいとさえ感じました。
全ての出し物が終わり出演者全員が登場された場で、尻谷座長さんが「河内弁を話せる人が少なくなった」と嘆かれました。何が困るのかと思われるでしょうが、「かわち俄(にわか)」のセリフは全てが河内弁でこそ意味があるのです。
最近の稽古は「河内弁から教えなあかん」そうです。いっそのこと、昔(1976年)流行った「河内のオッサンの唄」(ミス花子)を覚えて皆で歌うという手もありかも。
尻谷さん(写真)の本業は農業ですが、「河内一寸そら豆」(粒が大きく、ひと莢に一寸大(3・3cm)の豆を主に1〜2粒しか実らせない品種)を当地で最初に栽培したのが、祖父の喜三郎さんだそうです。その後、全国に広められたそうです。素晴らしい功績ですね。
実は、2019年の連載は「異業種対談」でした。1月号は職権で(笑)、当時98歳の母でしたが、昨年7月に102歳で亡くなりました。「らくうぇる。」のHPでバックナンバーが観られますから、私もたまに母の笑顔と会ってます。同様に過去に載られた方にも貴重な思い出ですよね。そこで、また地域で頑張っている方をご紹介したいと。